高校は大阪の高津高校で、“自由と創造”という校訓がとても好きでした。私服を全国で最初に採用したと聞いています。休講になると、ソフトボールをするような雰囲気で、楽しかった。当時の友人は今でも一番腹をわって話ができます。当時、阪大には最も多くの学生が進学していた進学校で、歯学部にも多くの先生がいます。私は本が好きで、様々なジャンルの本を読んだり、スキーによく行っていました。
大学時代には、ここでしかできないことをと思い、全学の体育会のアイスホッケ−部に入りました。すごく面白かったです。なぜ皆が“歯学部の何とか部”に入るのか本当に良くわかりませんでした。 ただ、当時、クラブとアルバイト付けになり、勉強不足になったことを今では後悔しています。
大学卒業後の進路を考えた時、本当に自分のやりたいこと、大学病院でしか出来ないことをと思い、外科と矯正を考えました。「矯正歯科は肩たたきがある(やめさせられる)」といううわさがあり皆が避けていたのですが、大学を辞めてでもやりたいことができるとの思いから矯正歯科に入局しました。学部学生6年間の勉強不足の反省もあり、どうせしばらく居るなら大学院にしようと思いました。私の実家は決して裕福ではなかったのですが、学費を払ってくれた両親には本当に感謝しています。約10年経過したところで医局を辞め、開業し、今に至っています。 私は自分の進歩がいつも必要と考えていますが、人に迷惑をかけたり、悲しませたりしてはいけないとは思っています。そうは言うものの、“100人いれば100の正義”とはよく言ったものだと思います。
趣味は、旅行(学生時代には海外にバックパッキングしていましたが、今は国内の家庭サービス旅行です)、スポーツ(スカイダイビングの免許も取りました、これは最高です)、音楽(ロック、フュージョン、ジャズ)、映画鑑賞(主として洋画)、読書(最近はおもしろい経営書などもよく読みます)です。 経歴を、硬く書くと 大阪大学歯学部での六年間の歯科教育を受けた後、約10年、同大学大学院終了して博士号を獲得、その後、大阪大学付属病院等において、3000症例以上の矯正治療を行ってきています。
宝塚において1995年に開業まさに直後、クリニックは震災にみまわれました。しかし、その後も、常に講習会、学会はもとより先進的な治療を行うクリニックにも、国内外を問わず自ら足を運んで、自主独立の精神で一番良いものを吸収し最良の治療ができるように心がけています。2004年には、クリニックを移転拡大し、設備を充実させました。 といったところです。 |